好きだっただけに、裏切られたショックは大きい。想いが深ければ深いほど、その落差は大きい。
美鶴の脳裏に、卑猥な慎二の唇が浮かぶ。相手を持ち上げて、夢を見せては堕として愉しむ。その落差が大きいほど深く傷つくという事を、彼は身をもって知っている。純粋で一途に想えば想うほど、堕とされた時の絶望は深い。
そうだ。慎二は純粋だった。大切に想う人が道を外してしまわぬよう説得すべき。それこそがその人の為になる。そうハッキリ口にできるほど、慎二は真っ直ぐな人間だった。
好きな人ができると、人は嫌われるのを恐れて異議を唱えなくなる。好きな人が明らかに間違っていると思われるような事をしていても、咎められなくなり、逆に同調してしまう者もいる。
だが慎二は違った。そのような人間ではなかった。間違いは間違いだと述べる事こそが正しいと口にできるほど、純粋だった。
純粋過ぎるほどだった。
豹変してしまった幼馴染に、智論は何も言えなかった。
自分は、慎二ほどは美しくない。綺麗でも純粋でもないんだ。
「女なんて、馬鹿だ」
慎二、私も女なんだよ。
心の声をグッと抑え込み、智論は美鶴へ乗り出す。
「だから、慎二はあなたを特に嫌っているというワケではないの。あなたを嫌っているからあなたの気持ちを踏みにじるような行動を取ったというワケではないのよ」
美鶴は無言で頷く。そうして、チーズケーキを一口含んだ。
そんな相手に、智論は乗り出していた身を引く。
「これが全部」
そう、これが全部。こんな話を、智論は今までにも複数の女性にしてきた。ある者はこの話に涙を浮かべ、自分が必ず慎二を立ち直らせて見せると豪語した。
そして結局、慎二に弄ばれた。
誰のどのような想いも、慎二には届かなかった。
「慎二を、可哀想だと思う?」
智論の言葉に、美鶴は生唾を飲む。
「慎二を哀れだと思う?」
「それは…」
確かに可哀想だとは思う。自分が同じ立場だったら、やっぱり自分も人間不信に陥ってしまうだろう。
そうだ。自分も同じだ。例えば里奈に裏切られた時などは―――
だが、美鶴が何かを発言しようとする前に、智論が強引に遮る。
「でも、慎二に対して同情なんてしないで」
やっぱりダメだ。
自分に言い聞かせる。
この子を今までの女性たちのように、慎二の元へ送り込む事などできない。
送り込む。そうだ、自分はそうしてきた。慎二がいつか元に戻ってくれるのではないかと期待して、慎二へ想いを寄せる女性たちを送り込んできた。
そうして慎二が再び誰かに心を開くようになればそれでいい。その誰かが、たとえ自分ではなかったとしても。
自分は悪魔だ。
智論は長いこと、そう言い聞かせてきた。
でも、もうダメだ。慎二は決して変わらない。
「同情なんてしないでね」
黙ったまま自分と向かい合う美鶴に、智論は力強く言い聞かせる。
「慎二に同情して慎二に泣かされた人を、私は何人も見てきている。あなたには、そうなって欲しくはない」
「だから智論さんは、すべてを知りたいなら霞流さんの事は諦めろ、だなんて言ったんですね」
「えぇ、そうよ」
「でも…」
でも、そうしたら霞流さんは、一生あのままなのかな。
美鶴は思う。
本当はもっとずっと優しくて、例えば最初に自分に見せてくれた姿が、ひょっとしたら本来の霞流さんなのかもしれない。
「銀梅花ですね。今年はずいぶんと早いみたいだ」
それがあんなに裏表のある人間になってしまって、このまま誰にも愛されなくて、誰も愛さないままなのかな。
誰の想いも、届かないのかな?
これは未練か。自分の想いを届ける手段はないものかと足掻く、恋する乙女の未練か。
否定はできない。だって、自分はやはりまだ霞流慎二への想いを抱いているから。
他人に対して不信感を持ってしまっても、人に愛されれば誰だっていつかは―――
だが美鶴はそこで瞠目する。本当に驚いて、息が止まるかとすら思った。
他人を拒絶する。他人を信じようとしない。そんな人間を、美鶴はもう一人知っている。
それは自分。
他人などとは関わらずべかざる。そう心に固く誓った自分。そんな自分に対して、想いを寄せてくれている異性がいる。聡と瑠駆真。
だが美鶴は、この二人からの想いを、受け入れる事ができないでいる。どうせ遊びだ。自分を好きになってくれる人など、いるワケがない。また自分は騙されているんだ。そう言い聞かせてきた。
美鶴は、掌が震えるのを感じる。智論に感づかれないように膝の上に隠す。
自分にできない事を、霞流さんに求めるのか? 自分が二人から寄せられる想いを信じられないでいるのに、霞流さんにはできると?
だが、こうも思う。
自分はもう誰も好きにはならないと心に決めた。決めたはずだった。でも自分は結局、また今度は、霞流慎二を好きになってしまった。
聡や瑠駆真の気持ちだって、今はお遊びだと遇うつもりはない。
今ならはっきりとわかる。自分はやっぱり、霞流慎二が好きなのだ。
霞流さんの心に、また人を好きになるという余地はないのだろうか?
諦めきれない。
自分が霞流を好きなった事実を思うと、美鶴はどうしても、霞流を諦められなくなってしまった。
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